「キスだけ…してくれませんか?」
ホテルのベッドに座りながら、彼にそう伝えたのは、
自分でも笑ってしまうほど震えた声だった。
女として、母として、妻として。
あらゆる役割を生きてきて、
ようやく“女だけの私”に戻れるこの時間。
――でも、キスだけ。
そう決めていたはずだった。
誰かと深く関わることも、
身体を晒すことも、もういらない。
ただ、唇を重ねて、女としての感覚だけを思い出せれば、それでいい…と。
彼は何も言わず、すっと近づいてきた。
ゆっくりと、まるで夢の続きをなぞるように、
彼の唇が私の唇に重なる。
温かくて、柔らかくて、
でも、あまりに深くて。
思わず目を閉じた瞬間、
身体のどこかが「もっと」と声をあげた。
心が先に求めて、理性があとから遅れて否定する。
――“ダメ、キスだけって言ったのに”。
でも、その「ダメ」がどこか心地よくて、
自分の中のもう一人の自分が、くすりと笑った。
「もう…帰らなきゃ」
そう言おうとしたときには、
彼の指先が私の髪を優しくすくいあげ、首筋へと滑り込んでいた。
肌に触れた瞬間、
びくん、と腰が揺れる。
何年ぶりだろう、こんな風に自分が“女の身体”として反応したのは。
彼の吐息が耳元で溶けるように囁いた。
「奥さん、キスだけじゃ足りないんでしょう?」
否定の言葉が、喉の奥で溶けていく。
抗えないのではない。
抗いたくなかった――それだけだ。
ワンピースのファスナーが、背中を這う。
手の甲が胸をそっとすくった瞬間、
息が漏れた。
夫にはもう何年も見せていない、
素直な身体の反応だった。
唇から始まったはずの夜が、
知らない場所を撫で回されるたびに、
私の“女のスイッチ”を次々に目覚めさせていく。
キスだけ、のはずだった。
けれど、今の私は、もう誰かの妻ではなく、
ただ“快感を覚えたがる女”。
それは、いけないことだとわかっていた。
でも、いけないことほど、気持ちいい。
その夜、私はすべてを脱いだ。
服も、建前も、常識も。
唇の、その先まで。
