第7話  “一線を越える前に”と抱かれた夜

“一線を越える前に”と抱かれた夜

「抱かれてもいい、でも…その前で止めてほしいんです」

予約の確認電話でそう告げたとき、
自分でも、何を言ってるのかわからなかった。

したいわけじゃない。
でも、したくなるくらいまで、心をほどいてほしい。

その“ギリギリ”に身を委ねたくて、
私は今日、ひとりでホテルの部屋にいた。

 

ノックの音。
ドアを開けた瞬間、
空気がふっと変わるのを感じた。

彼は思っていたよりも、ずっと穏やかな表情で、
それでもどこかで“獣のような鋭さ”を内に隠していた。

「こんばんは。…今日は、どこまで行きましょうか?」

その一言に、背筋がすうっと痺れた。

 

オイルの香りが部屋に広がる。
指先が背中をなぞるたび、
私は少しずつ、現実から切り離されていく。

「肩、張ってますね。ずいぶん我慢してきたんじゃないですか?」

優しい声。
でも、その言葉にはどこか、
私の奥にある何かを見抜いてくる力があった。

“触れているのは肌だけじゃない”。
そんな感覚に、心がざわつく。

 

仰向けになったとき、
彼の指が鎖骨をゆっくりなぞった。

そこから胸元、腹部、腰骨へ。
どれも浅く、なぞるだけの動き。
でも、まるで全身を愛撫されているような錯覚に陥る。

私はもう、言葉を交わすことも忘れていた。
その“手”と“間”に、
心も身体も全部預けてしまっていたから。

 

不意に、彼が手を止めた。

私の目を見つめながら、
何かを確認するようにゆっくりと、タオルを整える。

「…このまま、進んでもいいですよ。でも、今日はやめておきます」

え?と視線を向けたとき、
彼は静かに笑っていた。

「本当に気持ちよくなりたいときは、
 ちゃんと“自分の意思”で、望んでほしいんです。
 …俺に、委ねたいって、あなたの言葉で」

その言葉が、
胸の奥で、音もなく着地した。

 

何もされていない。
触れられていない。

でも、私はすでに抱かれていた。
心ごと、静かに包み込まれていた。

 

帰り際。
玄関先で、彼がふっと息を吐いた。

「今日、あなたが口にしなかった言葉。
 …次に会えたとき、聞かせてください」

そのまま部屋を出ていった彼の背中を見送りながら、
私はひとつ深く息をついた。

 

“まだ超えていない”。

けれど、あの夜――
私は、女としての自分をすでに手渡していた。

一線の、すぐ手前で。