子どもを寝かしつけて、義母の様子を確認して、
時計を見れば、もう23時を回っていた。
このところ、毎日が「やるべきこと」の連続で、
自分の顔を鏡でゆっくり見る時間すらなかった。
夫は最近、帰りが遅い。
私に感謝の言葉を口にすることも減った。
でも責める気持ちにもなれない。
私だって、夫に何かを求める余裕なんてなかったから。
スマホの画面に映る、予約完了の通知。
“女性用風俗セラピストがまもなく到着します”
そこだけ、現実じゃないみたいだった。
今日だけは、
誰の母でも、誰の嫁でもなく、
ただの“わたし”でいたかった。
彼と待ち合わせたのは、24時間営業のスパ施設。
仮眠室の奥のパーテーションに区切られた静かな空間。
誰も、私を“世話する側”として見てこない場所。
「こんばんは。夜遅くに、ありがとうございます」
その第一声だけで、心がほぐれるのを感じた。
私は、久しぶりに“誰かにねぎらわれる側”になっていた。
リクライニングチェアに座ると、彼がそっと
「肩、少し触れますね」と言って、指を乗せた。
その瞬間、
胸の奥がキュッと鳴った気がした。
誰かに、触れられるなんて。
そんなこと、もう何年もなかった。
指先が、肩から背中へ、
ゆっくり、まるで時をなぞるように滑っていく。
それは、マッサージというよりも――
“身体の記憶”を起こしていくような触れ方だった。
「ずっと、頑張ってこられたんですね」
ぽつりと漏れたその言葉に、
私は思わず、目を伏せた。
“頑張ってる”って、
こんなにも響く言葉だったんだ。
涙は出なかったけれど、
その代わり、身体の奥がじんわりと温まっていくのがわかった。
脚の付け根に近い場所を、
服の上からそっと押さえられたとき、
息が止まりそうになった。
「ここ、固くなってますね。
力、入れてるつもりじゃないのに、ずっと緊張してたのかも」
私は頷くことしかできなかった。
触れられただけで、
自分の“女の部分”が、反応してしまっているのがわかった。
音楽もない空間で、
彼の指先の動きだけが、時間を進めていた。
脚の内側、膝の裏、
腰のくびれ――
どこも、私自身がもう忘れかけていた場所だった。
“女”としての感覚は、消えてなんていなかった。
ただ、ずっと置き去りにしてきただけだった。
「体が、すごく正直ですね。
頭よりも、ずっと早く反応してる」
その言葉に、
私は心のどこかで恥ずかしさを覚えながらも、
なぜか、嬉しかった。
誰かに“女”として見られることが、
こんなにも温かいなんて。
「また、会いに来てもいいですか?」
最後にそう言うと、彼は穏やかに笑って答えた。
「もちろんです。
あなたが、“あなた”でいられる時間なら、いつでも」
私は、深く息を吸い込んでから、静かにうなずいた。
帰り道、スパの鏡に映る自分の顔が、
ほんの少しだけ、艶やかに見えた気がした。
それだけで、今夜はもう、充分だった。
